西城秀樹さんが音楽業界に影響を与えた「文化」と「歌唱テクニック」 さはらチャンネル

西城秀樹さんが音楽業界に影響を与えた「文化」と「歌唱テクニック」

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急性心不全のため、5月16日に63歳でこの世を去った、歌手の西城秀樹さん。2003年と11年に脳梗塞を発症、右半身の麻痺が残る状態ではあったが、強い意志のもとリハビリトレーニングを続けながら最近までステージに立ち続けてきた。

72年のデビューから、『激しい恋』『傷だらけのローラ』『ギャランドゥ』など数々のヒット曲を連発、郷ひろみ・野口五郎と“新御三家”と呼ばれる人気スターだった。

その独特のシャウト唱法は、後のJ-ROCKアーティストたちにも影響を与えた。97年には、THE HIGH-LOWSやROLLY、ダイヤモンド☆ユカイなど、西城秀樹さんに憧れて育った、有名ロックアーティストが参加したトリビュートアルバム『西城秀樹ROCKトリビュート KIDS' WANNA ROCK!』が発売された。ある音楽ライターは言う。「アイドル的な人気の一方で、シャウトやロカビリー歌手が声を裏返して歌うような唱法など、海外のロックアーティストの唱法をうまく取り入れ、歌謡曲と洋楽ロックの世界の橋渡しになるような存在でした。

79年の『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』や84 年の『抱きしめてジルバ』など、洋楽カバーのヒット曲も多く、コンサートでも様々な洋楽ロックをカバーしていました。現在のヴィジュアル系バンドの唱法も、元をたどればヒデキと通ずる部分はあると思います」歌唱のテクニックだけにとどまらず、秀樹さんが一般的に広めた「文化」は多い。前出の音楽ライターは言う。

「スタンドマイクを使ったパフォーマンスも、日本ではおそらくヒデキが最初。ワンマンでの初の野球場コンサートもそうです。今では定番の、コンサートにペンライトを導入し定着させたのも、ヒデキです」

『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』では、「ザ・ベストテン」で9週連続1位、この曲は番組最高得点にして、後にどの歌手も獲得できなかった「9999点」も記録している。

人気ドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)などでは俳優ととして、『カックラキン大放送!!』(日本テレビ系)や『8時だョ!全員集合』(TBS系)などではコントに挑戦、CMでは「ヒデキ、感激!!」のフレーズが印象深い「バーモントカレー」など、幅広くお茶の間の人気者だった。

「親しみ深さを持ったスターということで、当時の子どもたちの人気も高かったです」(同)

そんな気さくな秀樹さんの一面について、ある雑誌編集者がこんなエピソードを語ってくれた。

「10年以上前ですから、一度目の脳梗塞から復帰された頃だと思います」

東京・世田谷の子ども服店で編集者がショッピングをしていると、小さな子どもを連れた秀樹さんと奥さんに遭遇したという。

「ご家族と一緒に、楽しそうにお子さんの洋服を選んでいたのを覚えています。その様子から、お子さんやご家族への愛を感じました。

西城さんのお子さんより少し大きかったウチの子を、『おいくつですか?』とテレビと同じ優しい声と表情で聞かれました。気さくでスターぶることの全くない方だなと感じたことを覚えています」(同・編集者)

世代を超えて多くの人々に愛された西城秀樹さんの歌声を聞くことは、もうできない。

<取材・文/渋谷恭太郎>

引用元:https://rdsig.yahoo.co.jp/media/news/cm/list/zasshi/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9oZWFkbGluZXMueWFob28uY28uanAvYXJ0aWNsZT9hPTIwMTgwNTE3LTAwMDEyNDAxLWpwcmltZS1lbnQ-
minkuru
1 :名無しのさはら|2018/5/17 19:34

正直言ってとても辛い日々を過ごされたと思います。

病気で2度倒れられて、後遺症でまともに歩くこと出来ず闘病生活の末と思うと、恐らく本人は一番幸せな形で旅立たれたと思います。謹んでご冥福をお祈りします。

2 :名無しのさはら|2018/5/17 19:36

聖飢魔Ⅱのデーモン閣下も秀樹氏は歌がうまいっていってましたね

歌がうまくて足が長くてほんとにかっこよかった

3 :名無しのさはら|2018/5/17 19:41

年齢重ねても、かっこいいと思っていました。教育テレビの「やさいの時間」、朝ドラ、アニメソング…。

新たな秀樹さんの活躍を楽しんでいました。早すぎます。

4 :名無しのさはら|2018/5/17 19:43

当時の日本の歌手の中では

誰よりもロックだったと思います。

努力家で優しくてルックスもよくて、

ヒデキサイコーです。

え?亡くなったんですか?

まだ信じられません。

5 :名無しのさはら|2018/5/17 19:44

一定以上の年齢でワァ〜イエムシーエー!って振り付け出来ない人はいないだろう!

6 :名無しのさはら|2018/5/17 19:46

過去を知れば知るほど

どれだけ偉大だったか知らされる。

7 :名無しのさはら|2018/5/17 19:48

今まで夢と勇気、そして感動をくれた人がいなくなるという事はこれほど悲しいことはない。

8 :名無しのさはら|2018/5/17 20:00

氷室京介の歌唱法も、元を辿れば西城秀樹にぶつかる。吉川晃司が出てくるまでは、秀樹系の唄い方をする人がJロックの主流だった。

9 :名無しのさはら|2018/5/17 20:02

もともとは広島で天才ドラム少年として有名だったとの事である本で歌手としてデビューまでに歌のレッスンが3年はかかるところを1年でデビューにこぎつけたそうでその裏には喉から血が出るぐらい歌の練習をされたとありました、それがあの素晴らしい歌声だったのと苦労をされているからの人柄だったのでしょう、あなたの歌声はこれからも色々な方の頭の片隅に残ると思います、安らかにそしてありがとうヒデキ

10 :名無しのさはら|2018/5/17 20:02

ペンライトもそうだけどゴンドラに乗ってスタジアム上空から歌うスタイルも西城秀樹が初だったはず。

今のヘナチョコジャニーズとはレベルが違った。

11 :名無しのさはら|2018/5/17 20:15

ヤングマンより、個人的にWham!のカバー曲を歌ったのが印象的でした。歌唱力が高い証拠でしょうね!ゆっくり休んで下さい

12 :名無しのさはら|2018/5/17 20:17

秀樹さんに影響された代表格でいえば氷室京介さんですか。声質は少し違うけど歌唱法は結構そっくりですよね。そう考えると残した影響はデカいよなあ…

あとグラハムボネットのナイトゲームをカバーしたり洋楽ロック好きという意味でも偉大な存在でした。

どちらかというとディオ派だったみたいですけど。

13 :名無しのさはら|2018/5/17 20:25

中学生の頃、ヒデキの全盛期でした。

音楽の授業とかにヒデキのモノマネをしてました。アイドルなのにワイルドで、男の子の支持も多かったように思います。

ご冥福をお祈りいたします。

14 :名無しのさはら|2018/5/17 20:26

「ジャガー」から「シャボン玉」へ

「抱いてやる」から、「抱きしめてよ」へ

15 :名無しのさはら|2018/5/17 20:40

私と同世代で歌も上手い人

残念で仕方ないけど

向こうでまた歌ていてください

16 :名無しのさはら|2018/5/17 20:45

走れ!正直者 が出たとき、秀樹がコミカルなアニソン歌うんだ?しかもカッコいい!って衝撃的でした。時々カラオケでも歌っています。

17 :名無しのさはら|2018/5/17 20:51

西城秀樹に国民栄誉賞を!!

18 :名無しのさはら|2018/5/17 20:56

Charなどが歌謡ロックなどと表現されていた70年代、マイクスタンドを使った派手なアクション、スタジアムライブ、洋楽ロックを日本語訳で歌唱するなど、後のバンドムーブメントが日本の芸能界でビジネスモデルとして確立される前に、その基盤を整備し、後のJ-ROCKに大きな影響を与えることとなった西城秀樹の功績には計り知れないものがあります。

19 :名無しのさはら|2018/5/17 20:57

カッコよかったなあ。憧れのスターです。

今テレビに出てる誰よりもオーラがあった。

ジャニーズなんて全員かかっても敵わないくらいの国民的な人気者でした。

20 :名無しのさはら|2018/5/17 20:58

小学生から洋楽好きだったのがロックな歌唱に影響していると思う。氷室京介も西城秀樹の影響を受けているんじゃないかな。しかし西城さんヘビースモーカーだったのが悔やまれます

telmin

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